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ディスカッション1

大黒:
ひとつ教えていただきたいんですが,先生の活動の中で「ねらいの共有」という点で,子供と教師のねらいの共有を話されたと思うんですが,私,個人的には総合的な学習の時間においては,親御さんもなんかも入れたトライアングルの共有もあると思うんですが,今回の実践について保護者に事前にどのような説明をされたのかというのと,そのときの反応などありましたら教えてください。

國香:
まず,4月に保護者会でプレゼンテーションをして,「今年は情報活用の実践力をつけていきます」ということで,保護者に理解を得ました。保護者がどうかわったかは私より教務の先生が一生懸命やっておられまして,メルマガを発行したり,保護者のMLを作成して,色々情報を学校から発信することで,保護者から「今こんなことやてるんだね」という反応がとてもたくさん返ってきました。

竹田:
自己評価カード支援について質問です。子供が大変文章をまとを的をえて書いているんですが,こうなるためには子供たちとの対話が必要とあったんですが,子供全員を見るのは大変だと思うんですね。対話以外にカードに書き込みなんかをしたんでしょうか?

國香:
自分の場合は,なれてきたら5分で記入が終わりましたが,それができるようになるまで,授業開始時間の15分くらい使って,机間巡視をして,内容をみて,ひとりひとりと,「これはどうして?」というように対話しました。どちらかというと,初めに話し合って書く訓練をしました。最初に時間を取って書く訓練をしました。

竹田:
書けるように重点的に時間を取った,と?

堀田:
現場では時間がかかると思うんですが,ある意味訓練するということです。最終的には5分くらいで書けるようになった?

國香:
はい。

山脇:
一番最後の総合的な学習の時間のチェックリストですが,ここに評価とあるんですが,ここに記入されていれば経験したのか?それとも記入されていれば身に付いたのか?そこが大事だと思うんです。

國香:
活動の評価を見てもらえば分かると思うんですが「〜ができた」ではなく,具体的な活動になっていました。体験すれば力が付くのか?という質問ですよね。たしかにそうですが,ここに書いてあるのは子供が体験してそうなったんだ,という事実です。…

堀田:
ある程度そういう力がないとできない活動をイメージしていて,活動ができれば力が付いたと判断します。

山脇:
評価するときにできるか・できないか,という評価をするときにこの評価では把握ができない,と。把握ができないということは次の課題にうつるときに次の活動の課題設定で個に応じた指導にならないと私は考えています。

堀田:
できたかどうかを全員にはかっている時間はないんですね。この子たちは「これはやった,これはやった」ということをマトリックスに埋めているんですね。これが正確に評価している表ではないけども,授業をふりかえって次の授業をつくる目安になるものとして作っています。これが適切に子供の個を適切に評価できているかといえば評価できていない。むしろ代案を出してもらったほうがいい。

山脇:
それで私は評価の基準をはかるようなものを,先日永野先生が出されたようなものを基準として,その子の今の情報教育の力をはかるようにすればいいと思う。

國香:
学校でやるときも永野先生の評価をひっぱってきています。

五十川:
今の総合的な学習の時間チェックリストが参考になりました。20時間目から55時間目の様子を見ていると埋まっているのが分かります。盛り込む活動を入れるときに当初考えていなかったものを入れていくと思うんですが,それをどう分かち合っていきましたか?ポイントというか子供の意欲を損なわないポイントは?

國香:
たぶんそれがうまくできればいい授業になるんじゃないかな,と思います。子供の意欲をそがないようにするのは教師の力量にかかってくる問題だと思います。私の場合は例をあげると,たとえばあるグループがビデオレターを作ろうと活動に取り組みました。だけど自分も撮り方や編集の仕方が分からない。そんなときに「なんか先生もわからないなー」という感じになってきて,こっちは腹づもりではテレビ局の人に来てもらおうと打ち合わせしてますね。そこで「テレビ局の人に来てもらう手もあるけど,どう?」と引っぱってきて子供をひっぱてきた。

堀田:
今のは抜けてると思われる力を子供の意識にどう持ってくるか?先生は決めているんだけど,それを意識に持ってくるための,子供とそれを共有するための例です。ほかには?

坂口:
チェックリストの内容なんですけど,スキルは単元の中で出来る出来ないがはっきりするんですが,人との関わりはその単元の中では難しいような項目なんですけれど,それは考えられましたか?一年間を通じてここまで広げるためにやったのか?

國香:
とてもそれは教師の主観によるところが大きいと思います。ただ主観をなくすために,実は自分は3つめの段階で具体的な目標に人と関わる目標はコレと2つ決めたんです。そのファジーな段階でたとえばさっきのビデオレターの場合はどういうねらいをたてたかというと,「園児へのあたたかい気持ちをビデオレターに入れることで園児の保護者や先生との信頼関係をレポートする」…

堀田:
この単元でつけられる力を評価しないんであれば楽なんですね。評価が簡単なのは評価するのは簡単なんですね。時間かけてやると何かある。その「何か」をどう評価するか。非常に難しい話。時間内でしか評価できない力を評価すれば楽なんですよね。だけど,時間をかけてやっていくと「あの先生だとクラスはこうなるよね」みたいになっていきますよね?実践では非常に難しい話。一応時間なのでお二人の先生にコメントとご意見をいただきます。

山内:
ええと,ありがとうございました。この会の趣旨が実践研究の方法や表し方なので,この実践をどう表せばよさが出るかなと思ってきいてたんですが,実践って複雑なので,ひとつの実践でも5本くらい表し方があって,おそらく最後に出たのが実践研究として見た理屈が,つまり3行か5行で表すとどうなのか?それが表せないと研究の筋立てが分からない。そこが國香先生の実践らしさだと思うんですが,情報活用の実践力をはぐくむためにこういう自己評価カードのようなものを入れて,教師が子供の具体的な力を見ることができて,子供も自分についた力を確かめられる。さきほどから議論になっているのは,この実践の筋立てが情報活用の実践力をたしかめたんかい!?ということですね。

僕だったら宗教論議に発展するような大きすぎる目標をあえて設定しない。なぜかというと,情報活用の実践力を促進できたということと,この評価カードを入れたから促進したのか,ということの関係を説明しなきゃいけない。因果関係を見るのは大変。だから僕だったらむしろその目標を小さめに落として,研究の新しさをどこに持っていくか。研究はオリジナリティが必要なので,ここでポイントになるのは「能力目標でしか語れてこなかった評価カードに活動目標という概念を導入した」と。ものすごく抽象的な目標ではなく,子供が意識できて対話できる目標にくだいて表現することで,子供の内省的活動を表せ,教師が把握しやすくなった,と。ここを目標にすれば,目標を達成できるし,表しやすい。その先の情報活用の実践力の促進のために役に立つといえるかは,そこにつながっていく,という間接的な関係を示唆すればいいと思うんです。

もうひとつの論議は,評価カードってほかの活動でも使えると思うんですよ,「情報活用の実践力の向上」を入れ替えれば社会科でも国語科でもいい。これは情報活用の実践力だけに特化した概念ではなく,もう少し広い概念なので,そこに特化して引きつけるより,もう少しピッタリした問題設定を…

思いがあるので研究のときには問題は一番上に持ってこなきゃいけないと思っている人がいますが,それは一番上の問題で研究として表現するときはやったことにピッタリするスケールをあわせていくとすっといくような研究になると思いました。

堀田:
今日本語をしゃべっていたけれどエピソードを出しますね。ついこないだ,小川先生が二人にみてもらうために僕に研究を持ってきます。それは博物館の問題点を書いてあるんですが,日本の教育の問題点が大きく掲げられているんです。だけど,小川さんの問題が解決されたからといって日本の教育は解決するわけじゃない。國香さんの「情報活用の実践力」をつけさせたいという「願い」はいいけれど,それを研究の目標に持ってくるのはすごく難しい話になる。だけど,教師の目標を共有するにはいい,といった研究にするのはいい。

木原:
ええと,最初2つ言おうと思ったんですが,わかりやすくいえば結局この取り組みの魅力はどこかということですね。みなさんの意見ではチェックリストになるんですかね?私はチェックリストを使いながら,子供と教師で総合的な学習の時間のねらいをどう共有していくか?あるいは学習がスタートしてから効果的な対話関係を築いていくか。

ただ,途中からどう自己評価シートを使った報告はなかったですね。結局,総合的な学習の時間の目標って漠たるものだし,やっていく上で子供も教師もそれがだんだん見えてくる,かわってくるというのがある。非常に変化に富んだものである。そうすると教科の学習指導と違って,教師の方も分かってて,その目線で子供たちを追う。確認・確認の作業を続けていく。その軌跡がどうなるのか分かる。それを体言してくれるのは富山の方では盛んですね。今回の報告の魅力だと思います。

そうした意味で情報教育の実践力に資するのはある意味では誰もがわかっていて,わかっているから前提にすればいい。その前提に基づいて,國香先生の東部小学校ではこういうふうにして,それを促すための切り札がこれ(自己評価シート)でした,ということを言えばいいと思うんですね。人によって魅力を感じるところはあるわけで,僕はチェックシートはまずいと思うんですが,まずポイントが多すぎる。本当にチェックしなきゃならないんですかね?ハートとか意味はあるんですか?

國香:
あります。○は総合的な学習●は教科ハートは情緒面です。

木原:
これ学校の体制で,國香先生だけの問題だとは思わないんですが,学校ごとに決められるんなら,少なければ少ないほどいい。過程を通すことと,こういう目標に達したいというのを混濁している。

学校カリキュラムがガッチリしていればそういうことは確認しなくても,子供たちが5年生,6年生になれば出来ていることのはずなので,チェックポイントを厳選して求めることができる。これが実践に対する私の意見です。

だけど,情報活用の実践力が確かめたければ,こういう過程目標だけではダメで。たとえば作品で評価するとか,また別途の評価の仕掛けが必要です。現段階では報告できないかもしれないけれど,総合的な学習の時間の評価は課程が重視されますが,それは成果の評価を否定するものではないので,課程と成果を金井さんが話してくれると思いますけれど。この最終的なねらいというのは一個一個の評価では語り尽くせないところがあって,成果の評価で見るのもいいというのが私の意見です。

堀田:
今回國香先生に発表してもらったのは,僕が東部小に研究に入ったせいもあるし,学校カリキュラムの目標をたてている段階なので,カリキュラムに必要なものをさぐるためにたくさん盛り込んであるんですね。そういう意味で非常に多くなってるのはたしかにそうだと思った。

どこの学校も総合的な学習の時間をやったところは,各教師が学年でやることはハッキリしている。東部小の場合は突貫工事で4年生ならこの辺,5年生ならこの辺,ということを確かめている。


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