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ディスカッション2

中村:
授業そのものについて子供たちに重たいといっていたんですが,活動に対する必要性を持っていないんじゃないかな,と。コミュニティーセンターが本当に必要なのか?というところから入って行ってるのかな?

金井:
まさしくその通りなんですね。実際いるか/いらないかという話はしました。子供たちにとって無意識なコミュニティーセンターを意識化させるのが足りなかったんじゃないかなー,と。館長さんにお話を聞き,思いにふれました。

中村:
要するに無理があった,と。

五十川:
つけたい力を子供たちに伝えた,とあったんですが,○○○の自分のつけたい力だったのか,ポートフォリオによってつけたい力,だったのか。具体的には何と伝えたのか?

金井:
この力をつけるのは活動自体です。ものを残すポートフォリオを見て振り返ることで力がつきます。去年はこの力の話をしませんでした。考えていなかったんですが,総合の活動って活動だけに終わることが多い。だから,一昨年の実践ではあまりつけたい力を意識してなかった。決して総合的な学習の時間で活動が成功すれば成功したってわけじゃないんだよー,ということです。

大黒:
先生のお話を聞いてポートフォリオの話と,企業で広がっている目標管理制度がそれに近いな,と思いました。ウチは半年ごとにAだBだと。私なんかもボーナス見て評価が悪かったな,と知るのと,普段から知っておくことがいい。

ひとつすっきりしないところがあって,インタビューのところで失敗の事例として出されたところがあると思うんですが,インタビューそのものが失敗したのではなくて,インタビューそのものの評価とは違うと思うんですが。

金井:
インタビューする力というか,インタビューをする心構えだったかもしれませんね。

堀田:
金井さんはポートフォリオの大家でね。振り返るをするときに,振り返りに役立つようなポートフォリオになっている。目標をみんなで決めている。みんなの状態を自覚して,一回だけでなく,今度はこういうふうにやってみよう,と。そのプロセスでやっているのは目標を決めていること。その意味でポートフォリオやチェックシートの方法をチクチクしても意味がなくてね,そのポートフォリオがどういう方法やプロセスでやったのか,ということを見いだすことが大事。ただ,評価の仕方は違いますよね。悩みみたいは同じみたいなところもありますよね。後のディスカッションで出来ればと思います。

木原:
最初はまず何が魅力かってことです。しかし,それは言うまでもない。魅力はポートフォリオだと思うんですね。金井さんがポートフォリオでがんばっているのは知っているので,さすがだなということですね。学習時間60時間しかないのに,それで評価に13時間使っているという話はなかなか聞かないので珍しい。もっと増やしてもいいと思う。それは後で言いますが,ポートフォリオの仕組みや中身も洗練されているな,という感じがします。ですから,報告としてそれを聞かし絵tいあtだいて,聞きやすかったんですが,しかし一応確認しなければならないことはそうした方法でのポートフォリオの活用や評価では総合的な学習の時間の中では絶対の存在ではない,ということです。たとえば,ポートフォリオをやらないで,子供たちが楽しんでいるだけの活動があってもいいし,同じポートフォリオでも國香さんのところのように教師の目から見た観点別評価が主役にあるポートフォリオが必要になる場合もあるし,結局ねらい別に選ばなきゃならないってことですね。ポートフォリオは形式を決めるものでも,学習形態を決めるものでもない。

金井さんのやり方はひとつの方法としてまとまっている。どこでもその方法でやっていたらおかしい。不自然。じゃ,実際に金井ポートフォリオの特徴はどこにあるかってことですが,僕は先生の取り組みの中核は子供の「自尊感情の育成」じゃないかと思うんですね。子供自身の自信。ある意味で総合を通してつけたい力はそれを見ていくときのある意味題材にすぎない。自分を見るということをねらいに定めた単元だと思う。総合的な学習の時間の中の「自己の生き方を再確認する」ってやつがありますが,それに合致していると点で総合のねらいに即している。要するに自分の成長を見て取るのが中心なのであって,人の生き方を見て取る,というのもあるし。それは題材や活動に依存すると思う。そのように,もう少し金井さんが本当にやりたいことをストレートに出していただいて,それを中心にやっていただいて,出してもらえばわかりやすいかもしれない。

最後に言われた教師評価ですが,これはもっと具体的には各学校では通知票をどうするかという話題になってると思うし,文部省の指導要録に関する「観点を入れたほうがいいんじゃないか」という話もあって学校現場は困っている。僕は合わせ技で評価が満たされればいいと思う。どっちがいいかで自分を苦しめる必要はない。研究としてやっていることと,研究実践でやっていることはイコールにならない。通知票をやらなきゃならないと分かっていてもやらなきゃならないのが先生。

山内:
えー,木原大先生の後はしゃべりにくいんですけれど,同じようなことを考えるんで,金井先生は「思い」があるなと分かったので,そういう意味で質問。若干,この舌の上にざらっとしたものが残っているのは,それは「成長」って言葉なんですよ。色々流儀があると思いますが,たぶんその先生が思って使っている成長と,子供が認識している成長ということばにズレがあるのか,ないのか。その辺はよくわからないんですが,僕はやっぱり自分がみてきた5年生,6年生に成長という言葉を使った場合にどこまでモニターできるかどうか若干不安がある。

先ほど木原さんは自尊感情を育てるということでそれは非常によく分かる。それだったら成長という言葉を使う必要はない。「〜できるようになった。よかったね」と。自尊感情を育てるのは,成長っていう言葉使わないんですね。自尊感情ワークショップとかあるんですが,「成長」という言葉は使わない。成長はでかいスケールで見たときに振り返ってみてはたと分かる。もっとシンプルに,たとえば自分が成長したことをモニターする代わりに,人に言ってもらったほうがうれしいわけですよね。友達や先生から,すっと出てくる言葉で言って欲しい。そういう仕組みを作れば,こういう成長エントリー的なものがなくても,ポートフォリオがよくできているので,それをベースにもっとプログラムをつければいいものになる。

成長エントリーのところで出てきた項目は,國香先生がいった「〜ができる」というのとにていると思うんですね。成長というのは僕らの感じからすると,メタで大きな考えなので,あんまり休みに成長をはさむと卒業式なんかで感動が薄くなる。これはよけいなお世話かもしれないけれど,子供に「言葉」をどう伝えるかは教師のストラタジーだと思うんですね。最後にためておいて,最後にどっかーんと出したほうが金井先生の思いが伝わると思うんです。

堀田:
これ成長エントリーという専門用語がポートフォリオにあるんだよね?できるようになったことでは困る?どこが違う?

金井:
僕6年生のときに「成長」というとスキル面の成長しか持ってこなかった。僕が育てたいと思っていた力からすると,ぐーっと狭まった成長にしか気づいてこなかった。だけど僕から見ると子供たちはスキル面での成長以外にも成長している。それを僕は子供に伝えた。そういう反省があったので,子供たちとまず成長を話し合ってやってみた。

堀田:
今二人の先生を選んだ意図は総合的な学習の時間や情報教育に関わる部分で何か評価しなきゃいけないというのがある。評価はレッテル付けにあるのではなく,自尊心を持たせるため,次の活動につなげるため,にある。二人同じところ,違うところある。その辺をひとつ話題にして,同じようなテーマで違うやり方で伝えるのは,うまく伝わってるのかもしれないし,そうじゃないかもしれない。みんな妙に小さな話を聞いたり,大きい話を聞くのはうまく伝わっていないからかもしれない。そこに研究者が入るとうまくいく,そういうことだったのねー,ということが分かると解決するかもしれない。こういうことについてこの後休み時間をはさんで少し議論していこうと思います。


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