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メディア・リテラシー教育 2003年度はどう取り組むか(その4)

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これはある例で、静大の附属小学校で公開研があった時に、コメンテーターになった時に使ったスライドです(図3参照)。例えば小学生がホームページを作るという学習はよくやられます。中学校でも高校でもポピュラーで、大学でもやられます。ホームページを作るという学習は、いったいどういう学びを生むのか。可能性で考えると実は山ほどあるんです。例えばホームページを作成するソフトの使い方、ファイルの操作とかという話もあるし、「ホームページとは」「リンクとは」「URLとは」とかインターネットの仕組みみたいなこともある。三つ目のところに書きましたけど、ホームページというのは個人が持てるようになったことで、たくさんの人が情報発信をする情報発信社会になった結果、今まではプロだけが情報発信していたけど、今はみんなが情報発信できる。その結果、情報の信憑性みたいのものは相対的に下がっていって、だからこそ受け手である僕らがきちんと情報を読み取る目を身につけなきゃいけないということとか、四番目でいうとそれが社会を変えていて、例えば本を買うといっても、どんな本を売っているかを検索してあたりを付けてから本屋に行くとかね。本屋に行かないわけでもないし、全部オンラインショッピングになるわけでもない。だけどもそれは共存しているんだ。調べる時もそうだ。インターネットを一切使わないというのもナンセンスだし、インターネットだけっていうのもナンセンスなんですよね。そういう共存関係、どっちがどういう時に良いかということを、僕らは能力として知っていなければならないというようなことです。

最後に情報っていうのはそもそも必ず全部は伝えられない。僕は今日、40分で話していますから、僕の思っていること全ては伝えられません。皆さんのこの中間報告を見る限り、僕が伝えられることで、ここを押さえておいた方が、県の方針からいくと僕はここをコメントすべきじゃないか、というふうに構成しているわけです。何てことを気づかずに「堀田さん、あの時ああ言ったじゃん。今日言ってるこれと違うじゃん。」と言われても、それはあのオーダーの中でこういう文脈の中で言ったということと、1行を取り上げてこっちと違うと言われても困るよということはあるんですよね。だから情報というのはそもそもある意味で歪むし、受信者のフィルターをくぐって皆さんの中に入っていきますから、変わっていくということですね。

それをこんなふうに書いてみると、変わっていきやすいものと、なかなか変わらない本質的なものっていうふうに考えると上の事ほど変わっていくんですね(図4参照)。時代が変わり、技術が変われば変わっていく。移ろいでいくと言うんですかね。下の方ほど割と本質的な話です。上の方にいろんな情報機器の操作があります。コンピュータを使えれば良いってもんじゃないよ、操作を教えればいいってもんじゃないよ、と言うのは、移ろいやすいからなんですね。操作させるのはいいんですよ。それを通して何をさせたいかという、より下に向かうことをさせたい。小学生で一番下まで、哲学的に「情報っていうのは移ろうんですよね。先生。」みたいなことを言う子は育てたくないんですよ。でも、小学校、中学校、高校と進んでいくに従って、やっぱり僕らは社会の仕組みとかつきあい方みたいなことをきちんと教えていかなければいけない。小学校は小学校なりに、高校は高校ならではの、そういうところまで踏み込んでいただきたいと思うということです。

時間が来ましたので、最後にこれでまとめたいと思います。これはデジカメで写真を撮ってくるという学習なんですけど、「面白い女の子」というキャッチコピーに合った写真を撮ってくるという課題なんですね。それでみんなが一番いいと思ったのがこれだった。これはデジタルカメラの操作の学習ではありません。ある題についてどう情報を切り取ってくるか、あるいはもしかしたらこの子はやらせかもしれない。そういうことも簡単に起こり得るという学習です。ある意味表現の仕方とか、陥りがちな社会のメディアの仕組みにといったものに気づかせる、小学校5年生ですけどねこの時は。デジカメ、子どもたち特に小学校では、たくさん使わせていると思うんですよね。使ったことのない子にこれやらせてもそれは無理です。まずはジャブジャブ使えばいい。でもそのうち、ある程度使えるようになってきて、写真も撮れるようになってきて、必要なものを取り出せるようになってきたら、こういうこともまた角度を変えて教えていくと、より一層言いたいことを伝えるための写真を撮れるようになってくる。つまりこれはこれを読み解くということが、受信の学習なんだけども、日頃発信している子どもたちにそれが効いてくるということです。繋げてあげる、循環性を持ってあげるというのが、効いてくるということですね。これは一斉授業ですけど、コンピュータ室でやっているわけではないですけど、そういう授業がポーンと投入されることで、日頃の総合の学習が、情報の学習が、ちょっと変わってくる。そして、意味とか価値とか、自分の伝えたいこととか、相手とか、そういうことを考えるようになってくる。そういう土壌のなかでメディア・リテラシーの読み解きとか、クリティカルな、とかいうことが生きてくる。それが無いところで、「クリティカル、クリティカル」と言っても、「何だか分からないけど、クリティカルって覚えとこう」みたいになっちゃうってことです。より生きて働く力にするために、こういうふうに構成していただきたいということで、今日はお話しを終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

この文章は,2003年2月13日に行われた,静岡県メディア・リテラシー教育研究委員会での講演内容をもとにしたものです。

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