HORILABホームへ  教育情報システム研究室  

メディア・リテラシー教育を考えるミニ・フォーラム

■ミニ・フォーラムの趣旨説明

堀田
それでは始めたいと思います。皆さんのお手元に資料が2つ。1つはフォーラムの段取りと参加者。もう一つは,エクセルのシート。森野先生のプレゼンの資料になります。

堀田
最初に趣旨をお話しします。ミニ・フォーラムのアジェンダにありますように,メディアリテラシ教育を考える。メディア・リテラシーについてお話します。

(アフリカの自然と子どもの写真の合成写真)

アフリカとか,いろんな国の写真があって,そのほかに自分たちがデジカメで撮った写真があって,紙の上で印刷して,まわりを切り取ってはる。それをもう1度デジタルカメラで撮影すると合成したようになる。これを次の時間にはコンピュータでやる。この人達(授業)がやりたかったのは,こういうことがコンピュータを使えば簡単にできますよ,という操作のスキルを教えたい。これは現実の世界ではないことをやっているわけです。子どもたちがこういうことを簡単にできるというのと,僕らの身の回りのメディアでは実際にこういうこと(画面の合成)が起きているというのをどうつなぐか。大事なことは,今,小学校でも情報教育が行われています。子どもたちがこういった技術を身につけると,そもそも情報ってなんだろう,メディアってなんだろう,それで僕らはどういう影響を受けているのか。情報と社会,情報とのつきあい方というところに学習の内容が発展していく。今浜だ始まったばかり。間もなく子どもにはスキルが身に付いて,内容や,社会について考えるようになる。

堀田
日本の情報教育の課題として…僕が思っている課題ですが…特に初等・中等教育では,ITの操作方法に教育の中心が集まっていて,情報そのもの価値に関する教育はされていない。そういう意味では,メディア・リテラシー教育には情報教育の課題からみても注目している。

講師の先生方の紹介をします。

森野先生は,うちの学部の先生です。小学校の先生と一緒に,メディアを使った授業をやられました。これをマスメディアがどう報道したかについてお話していただきます。

呉先生は,台湾政治大学からお見えで,台湾のメディア・リテラシー教育のリーダーシップをとられている方。台湾のメディア・リテラシー教育の現状と「別小看我(甘く見ないで)」という番組。小学生向けの番組です。これは台湾で毎週オンエアされていますが,その番組のディレクターをやられていますので,その番組を紹介していただく。

水越先生は,東京大学情報。二つの実践をつなぐ意味で。水越先生は日本のメディア・リテラシー教育の中心を担われている。

そうはいっても時間はそんなにありません。どうしても終わりは11:55には終わりたい。密度濃くやりたいと思います。最初のプレゼンテーターで森野さんお願いします。

■プレゼンテーション1
 「メディアがとらえたメディア・リテラシー授業実践」

(実際は英語/日本語のプレゼンでしたが,日本語で統一しました)

森野
日本語でプレゼンテーションと書いたんですが,原稿を英語で用意したので,英語でやりながら適に日本語で。

森野
興津小学校(静岡県清水市)で,小学校の先生とやった共同授業について報告したい。特にテレビ放送が私たちの授業をニュースで紹介したんですが,その結果はどうだったのかをお伝えしたい。小学校の先生と大学の教官がやった授業ということで,そういうケースはあまりないと思うんですが,大学の教師としては理論を主にやっている。小学生の前で実践することはない。今回そういうチャンスがあったのは非常に意義のあることだったと思う。

森野
私たちが選んだクラスは興津小学校という清水市の小学校の5年生のクラス。小学校のカリキュラムでは,メディアを教えられるのは5年生からです。多くの観点があると思われますが,私たちは特にジェンダーステレオタイプに着目しました。

森野
私たちは,教材としてTVアニメの「ドラえもん」を利用しました。ドラえもんは子どもたちに非常によく知られています。ドラえもんのお話はとても常套的。のび太がいじめっ子のジャイアンにいじめられて泣きながら家に帰ってくる。ドラえもんという猫型のロボットに道具を出してとお願いします。のび太は結局ジャイアンをやっつけます。

ドラえもんの話は常套的で,パターン化されている。ドラえもんの中には,ジェンダーステレオタイプがある。ドラえもんのステレオタイプ。男の子は放課後になると,野球やサッカーなど活動的で,しずかちゃんはピアノやクッキー作りをする。活動の差がある。メインキャラは男性性の代表のようなマッチョな男の子。女性性のそのもののようなしずかちゃんがいる。劇中登場する大人を見ると,男性は皆外で働いている。女性はほとんどの場合は専業主婦をやっている。

私たちが授業で何を教えたかったか。メディアが伝えるドラえもんの世界と,子どもたちが住んでいる現実世界のリアリティーの違い。それを知ってもらうために子どもたちにいくつかの質問をした。

ドラえもんの中ではサッカーは男の子がするものとして描かれている。クラスで「サッカーをする子は?」と聞いたら,たくさんの女の子がサッカー好きだと答えた。

「誰が家で料理するの?」と聞いたら,お父さんがするという共稼ぎの家庭があった。

「もし,しずかちゃんがドラえもんの道具を使えたら,静かちゃんは何をすると思う?」と尋ねたら,子どもたちは途方にくれて答えられなかった。

しずかちゃんはおしとやかな,女性的なキャラクターなので,彼女が自分から行動を起こし,ドラえもんを使ってストーリーの中心になることを子どもたちは考え出すことができなかった。それは女の子が主体的に行動するんだけど,メディアの中の女の子は主体的に動かない。メディアの現実と,学校の子どもたちの現実の違いを感じたもらえたと思う。

私たちがいろいろ授業の準備しているときに,静岡のあるテレビ局からアプローチを受けました。テレビクルーが来て,授業の様子を2回撮影し,ジェンダーとメディアの関係についてしゃべっている私たちの様子も撮影していきました。

月曜日の夕方のニュース(ニュースの森のローカル枠)で2週にわたって放映されました。1週目は活動の紹介,2週目は私たちのメディアの授業を紹介してもらう予定でした。実際にはどう放映されたか。2週目の放送を見てもらいます。

(ビデオ視聴)

子ども:
アニメだし,個性的なキャラクタを出して面白くする。
作っている人が「男は力持ち」というイメージを表した

先生:
作っている人が居るんだよね

アナウンサー:
判断して情報を選んでいく力をメディア・リテラシーという。情報化社会が進む中で,子どもたちにこうした力をつけるねらいが出てきた。

先生:
テレビだけではなく,雑誌やインターネットからの情報について見るという視点をもってほしかった。

アナウンサー:
5年2組の子どもがテレビの仕組みに興味をもったのはこれです。テレビとは違うことに気づく。自分たちが取材される立場になり子どもたちは何を感じたのか。

//

森野
結果からすると,私たちのメディア・リテラシーの授業はレポートされなかった。子どもたちが取材されることに対する気持ちに集中していた。ジェンダーに関するレポートはニュースの放送では割かれていました。

実は,この放送が放映されるその朝にレポーターからFAXが来て「私たちのやったジェンダーアプローチは問題がある。ジェンダーの問題は複雑なので,それを流すとメディア・リテラシーの問題がかすんじゃうから」という趣旨のFAXが来ました。このテレビ局の人たちは視聴者からジェンダーを扱うと批判が来ると考えてジェンダーの放映をやめたのではないかと思う。メディア・リテラシーの考え方が私たちの授業担当者の間に違いがあった。

森野
たとえば,老人用の紙おむつのCMを見るワークショップがあるとする。そこでカメラワークがこうなってる,ボイスオーバーがどうとかをやるけれど,それは全部技術的な問題。それだけがすべてではない。私たちはそのCMが何を伝えようとしているかの「メッセージの解釈」が必要になってくる。非常に高性能の紙おむつで,1日1回取り替えればすむ,という紙おむつをあてられている老人は幸せなのか?そのナプキンは老人よりも,介護する側の都合で作られているのではないか?老人の側を考えると,ぬれた紙おむつをあてられているのが幸せなのか,と考えてしまう。

そういうことを考えたとき,それはもう社会の問題を考えることになっている。年を経るというのはどういうことなのかとか,年を経るにあたって考えるべきことは何なのか。コマーシャルの外にあるテクスト,社会的問題について考えるきっかけをメディア・リテラシーは与えると考えている。

興津のケースでは,小学校の先生と大学の研究者とメディアの三者が関わり合った珍しいケースだと思う。だけど,私たちはメディアとのコラボレーションは失敗したと思う。メディア・リテラシーの見解が,テレビ局と実践者の間で違っているということは,メディア・リテラシーをどう教えるかが困難かを露呈した。結論としては,メディア・リテラシーというのは教えること,ITの技術を教えるように教え込むことではなくて,そこから何かが始まるきっかけ。何が始まるかというとメディアのテクストを子どもたちがクリティカルに読んだり,メディアを作成することで自分の外の世界について考えるきっかけであり,出てきた意見をメディアを通して発信する。それが本当のメディア・リテラシーではないかと思う。

次のページ→

目次 その1 その2 その3